「出身はどちらですか?」と聞かれて、「中国です」と答えたとき、会話の雰囲気が変わることが何度もあります。このような経験をするたびに、自分のルーツや、出身地が他人に与える印象について考えさせられます。
正直に言えば、私は「中国人であること」に誇りを持っているわけではありません。
そもそも、出身地という自分では選ぶことのできない要素に誇りを持つという感覚自体が、私には少し違和感があります。出身地は、あくまで自分の一部であって、それが自分の価値を決めるわけではないからです。
中国に対するネガティブなイメージが、日本では根強く存在しているのは事実です。近年、中国国内での反日活動の激化や、政治的な弾圧から逃れて日本に移住してくる人たちの増加、さらに一部の犯罪報道などが、日本社会における「中国人像」を形作っているのでしょう。
これらを背景に、日本で中国人が警戒や偏見の目を向けられるのも、理解できなくはありません。ただ、その現実に対して、自分がどのように向き合うべきかを考えると、とても複雑な感情が湧いてきます。私自身は中国人として生まれましたが、そのことが自分の価値を決めるわけではないと感じているからです。
私が中国人であることは、生まれた場所による結果に過ぎません。それは、私の個性や生き方をすべて表すものではありません。日本に長く住む中で、多くの日本人と接し、さまざまな価値観に触れることで、「出身地」という固定観念に縛られたくないという思いが強まりました。
人をその出身や国籍だけで判断するのではなく、一人ひとりの考え方や行動、言葉によってその人を知ることが大切だと考えています。私自身も、自分のバックグラウンドを否定するつもりはありませんが、それ以上に、自分が「今」どのように生きているのかを見てほしいと思っています。
この記事を通じて伝えたいのは、「中国人だからこうだ」といった固定観念を少しでも和らげたいということです。私も、日本での生活を通じて学んだことや気づきがたくさんあります。中国人であることも、日本で生活していることも、それぞれが私の一部ですが、それ以上に、私は一人の「個人」として見られたいと思っています。
私の経験が、少しでも皆さんの考え方や視点を広げるきっかけになれば嬉しいです。ご意見や質問があれば、ぜひコメントでお聞かせください。一緒に考え、話し合える場になればと思います。
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